黒柳徹子の年収は10億超?徹子の部屋のギャラやユニセフ親善大使の報酬は?
月~金のお昼に放送されているテレビ朝日系「徹子の部屋」でおなじみの黒柳徹子さん。
著書「窓ぎわのトットちゃん」の大ヒットも有名ですが、どうしても年収が気になってしまいますよね。
最近は発表されなくなりましたが、かつては「高額納税者番付の常連」というイメージもありました。
黒柳徹子さんの年収の柱となる「徹子の部屋」のギャラの他、ユニセフ親善大使の報酬なども調べてみると驚くべき事実も発見できましたよ。
2021年8月には米寿(88歳)を迎えられますが、まだまだ活躍してほしい芸能界の重鎮です。
そこで今回は、黒柳徹子の年収は10億超?徹子の部屋のギャラやユニセフ親善大使の報酬は?というテーマで詳しくご紹介します。
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黒柳徹子の年収は10億超?
黒柳徹子さんの年収は推定10億円超といわれています。
主な収入源としては「徹子の部屋」のギャラや、「日立 世界・ふしぎ発見!」などの番組出演料。
その他、契約金の高いCM、「TOTTO-chan shop」でのグッズ販売の売り上げが挙げられます。
「窓ぎわのトットちゃん」の印税収入が現在も高額に入ってきているかは謎ですが、それを抜いても年収自体は非常に大きな額となっています。
黒柳徹子さんのライフワークともいえる「徹子の部屋」のギャラは、1回あたり150万~200万円。
1週間(5日)分で750万~1000万円になりますので、年収にすると最低ラインでも3億6000万円を稼いでいることになります。
最高であれば、30分番組(過去には35分~55分)としては異例の5億円近い収入を毎年得ている可能性も…。
2021年には放送11500回を突破し、「同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者」のギネス記録も更新中ですね!
東和薬品などのCM出演料も、黒柳徹子さんクラスであれば5000万円を下ることはありません。
「日立 世界・ふしぎ発見!」やその他のバラエティ番組では1本あたり300万円を超えるギャラが発生しています。
グッズ売り上げ、複数の著書の印税収入を加味すれば、ざっと見積もっても年収10億円以上は堅そうですね。
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高額納税者番付(俳優・タレント部門)で6度も1位に!
1953年にNHK放送劇団の一員となり、「テレビ女優第一号」のひとりとなった黒柳徹子さん。
テレビ業界を知り尽くした「国宝級タレント」と呼ばれるだけに、1980年代には高額納税者番付(俳優・タレント部門)で6度も1位になっています。
少なくとも、当時芸能界の重鎮とされていた森繁久彌さん、石原裕次郎さん、山城新伍さん、渥美清さん、森光子さんらの年収の2倍近くを稼いでいたデータでもあり、ぶっちぎりの1位です。
初めて1位になったのが、黒柳徹子さんの自叙伝的著書「窓ぎわのトットちゃん」が爆発的にヒットした1981年のことで、年収は1億9910万円。(出典:新井素子研究会)
それから1985年まで5年連続高額納税者番付1位の快挙で、1987年に再びランキング1位に返り咲きを果たしています。
当時、黒柳徹子さんご自身が「収入の90%は税金」と語られていましたので、1億7919万円は「国に持って行かれる」という時代でしたね。
ちなみに、1981年の年収を現在の貨幣価値(当時の2.5倍)に換算すると、「1億9910万円×2.5=4億9975万円」ほどになります。
(※実際には貨幣価値の基準そのものが明確になっている訳ではありません)
年収を削られ過ぎて税制調査会で不満爆発!
高額所得者の宿命ではありますが、あまりにも理不尽だと不満をあらわにしていたようです。
確かに低所得者の私から見ても年収のほとんどを奪われる訳ですから、「さすがにひどすぎる」と思ってしまうレベルのお話…。
黒柳徹子さんは1985年、内閣府の審議会の1つ・税制調査会に招かれた際、「これでは勤労意欲が失われる」と不満を爆発させています。
1976年にはご自身の冠番組「徹子の部屋」もスタートしていましたし、1978年からはTBSの人気音楽番組「ザ・ベストテン」の司会を最終回まで11年間に渡って務め上げています。
まさに働き盛りで年収も右肩上がりの時期だっただけに、納得がいかないのも無理はありませんね。
税制調査会で「最高税率を10%下げて欲しい」と提言し、実際に2年後の1987年には最高税率が60%まで引き下げられています。
すでに1984年には黒柳徹子さんが国連のユニセフ親善大使に就任していたこともあり、発言が功を奏した可能性は高いと思われます。
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黒柳徹子のユニセフ親善大使としての年間報酬は?
現在、国連のユニセフ親善大使の中でも最古参のメンバーとなっている黒柳徹子さん。
その年間報酬は1ドルといわれていますので、2021年現在で「109.517円」となります。
缶コーヒー1本も買えない報酬ですが、そもそも恵まれない子どもたちを金銭的に支援する立場ですので、形式上1ドルもらっているというだけですね。
1984年に就任して以来、黒柳徹子さんはこれまでユニセフ親善大使として31か国を訪問。
時には内紛などが勃発している危険地域にも足を運び、イラク、ソマリア、南スーダン、ミャンマーなども訪れています。
1996年にはボスニア・ヘルツェゴヴィナ(旧ユーゴスラビア)に出向いた際、クロアチア人警察に軍事施設を撮影したとして拘束されるという危ない目にも遭っています。
黒柳徹子さんは結婚の経験がなく当然子どももいませんが、世界中の子どもたちや障害者への愛情は誰よりも深いようですね。
破格の年収も決して自分だけの為に使う訳ではなく、その多くを寄付などに回しているものと見られています。
「窓際のトットちゃん」の印税収入はいくら?
黒柳徹子さんの代表的著書で、登場人物も実名という完全ノンフィクション作品「窓ぎわのトットちゃん」。
戦後最大のベストセラーとして、発売された1981年に国内累計発行部数800万部を突破しています。
現在、単行本は1冊1650円で発売されており、黒柳徹子さんの懐に入る印税収入も気になるところですよね。
書籍の売り上げに関しては1冊あたり著者に10%入るといわれていますので、単純計算すると「165円×800万=13億2000万円」となります。
2021年3月現在では世界35ヶ国で翻訳され、全世界累計発行部数は2371万部となっています。
特に、黒柳徹子さんがパンダ保護協会名誉会長を務めている影響もあってか、「窓ぎわのトットちゃん」は中国でも大人気で累計1000万部を突破しているようです。
昔と今では印税収入のパーセンテージも異なるかもしれませんし、海外版の場合は正直契約がどのようになっているのか不明です。
戦後の日本で最も売れた書籍であることを考慮すると、総額30~50億円程度は黒柳徹子さんの毎年の年収に分散されて入ってきていても不思議ではありませんね。
印税全額寄付で「社会福祉法人トット基金」を設立!
1981年、「窓ぎわのトットちゃん」の爆発的ヒットにより、10億円以上の年収があったといわれている黒柳徹子さん。
しかし同年、印税収入を全額寄付する形で「社会福祉法人トット基金」を設立しています。
金銭的に余裕があるからこそ成し得る偉業ではありますが、それでもなかなかできることではありませんよね。
ちょうど1981年は国連が定めた「国際障害者年」ということで、理事長を務める黒柳徹子さんの理念やタイミングなども一致していたようです。
社会福祉法人トット基金では、現在も「ろう者(聴覚障碍者)」の方の劇団公演や手話教室などの活動を行っています。
障害を持たれた方にも水準の高い文化に触れていただいて、より良い人生の在り方を享受されているようですね。
テレビでは見たことがないのですが、黒柳徹子さんも手話ができるそうですよ。
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黒柳徹子の年収の使い道は?
10億超の年収を誇る黒柳徹子さんのお金の使い道も気になりますよね。
「どうしても遺産を多く残してあげたい」というお子様もいませんし…。
弟の黒柳紀明さんはヴァイオリン奏者ですし、妹の黒柳真理さんは元バレリーナでエッセイスト、美容家として裕福な暮らしをされていることと思います。
遺産の分配も少しは考えられているとは思いますが、最終的には財産を寄付されても不思議ではありませんよね。
現在の年収があれば多少の贅沢をしながら、やはり福祉に関する使い道がメインだと思われます。
黒柳徹子さんといえば自前の衣装が有名で、1度着た服はすべてチャリティーに回しているといわれています。
スウェーデンのアパレルブランド「H&M」で爆買いされているようですし、比較的リーズナブルな衣装でテレビ出演されているようです。
「徹子の部屋」で見る限り、高級ブランドのイメージがありましたが、黒柳徹子さんは意外と倹約家なのかもしれませんね。
他人が口を挟む話でもありませんが、昭和の時代からずっと活躍されてきただけに、もっと贅沢しても良いのではないでしょうか。
といっても、年収10億の使い道なんて私には想像すらできませんが…。
まとめ
黒柳徹子さんの年収を中心にご紹介しました。
あくまで推定ですが、10億円は超えているものと思われます。
「徹子の部屋」「日立 世界・ふしぎ発見!」などのテレビ出演以外にも、ユニセフ親善大使やトット基金理事長として忙しい日々を送られているはずです。
もうすぐ88歳という年齢を考えると少し心配ですが、今後も元気なお姿を見せ続けて欲しいですね。
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