菅義偉官房長官の身長は?自宅は横浜で若い頃や法政大学時代の逸話!

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4月28日、幕張メッセで開かれた「ニコニコ超会議2019」に参加された菅義偉官房長官。

最近では「令和おじさん」の愛称で呼ばれており、安倍内閣でも異例の人気を誇っています。

 

「身長はどのくらい?」「自宅はどこ?」「法政大学卒業なの?」「若い頃の逸話などを知りたい」など、多くの人の関心を集めています。

そこで、今回は次期総理との噂もある菅義偉官房長官への関心事をまとめてみました!

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菅義偉官房長官の身長は?

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画像出典:毎日新聞

官房長官の職を務めること2300日以上という歴代ダントツトップの在職期間を誇る菅義偉さん。

ほとんどテレビで見ない日は無いため、身長がどのくらいなのか気になる方が多いようです。

 

インターネットで検索するとプロフィールなどが出てきますが、身長や体重に関するデータはなく、165cm前後ではないかと言われています。

実際、菅義偉官房長官に対して「小さくてかわいい」などの声も挙がっていますよね。

 

ニコニコ超会議2019年ではコスプレイヤーとも記念撮影をされていますが、一緒に写真を撮った方によるとテレビで見るのとあまり変わらなかったという話もあります。

ちなみに安倍晋三首相や麻生太郎副総理の身長が175cmですから、比較すると菅義偉官房長官の方が10cmほど低いことになります。

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菅義偉官房長官の自宅は横浜?

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菅義偉官房長官は秋田県雄勝郡雄勝町出身ですが、2005年同郡の稲川町や皆瀬村とともに湯沢市に合併され、廃止されています。

現在の自宅は神奈川県横浜市で、選挙区も神奈川2区から8回当選されています。

 

1987~1995年は、自宅のある横浜市会議員を2期務められた経歴もあります。

ただし、菅義偉さんは内閣官房長官を務めているため、東京港区赤坂の衆議院議員宿舎に宿泊されています。

 

2018年までのデータでは、官房長官を務めている間に横浜の自宅に泊まったことがないと言われていますので、当然現在も変わっていません。

菅義偉官房長官は、日本での災害や海外での事件などの詳細をいち早く伝える役職にありますので致し方無いようですね。

 

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菅義偉官房長官は法政大学出身

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菅義偉官房長官は法政大学出身で、法律学部法律学科を卒業されているため、自動的に「法学士」という称号を得られています。

現在では「学士(法学)」という称号の名称に変更されています。

 

実は、菅義偉官房長官の姉2人が高校教諭になられていることもあり、週刊誌のフライデーが姉たちと同じ北海道教育大学を受験して不合格になったと報じたことがありました。

しかし、「教員だけにはなりたくなかった」と全面否定されており、法政大学出身であることは間違いありません。

 

父親は故郷で「秋の宮いちご」のブランド化に成功し、それをきっかけに農業大学を勧められたようです。

ただ、菅義偉官房長官はこれも断り、高校卒業と同時に集団就職のため上京されています。

 

東京に対する憧れもあったようですが、板橋区の段ボール工場で働くことが嫌になったのか、一念発起されて法政大学を受験して合格されています。

当時、私立大学では最も学費が安い大学を選んだという話がありますが、菅義偉青年の運命を変えたのが出身校である法政大学入学だったといっても過言ではないようです。

 

その後、いったんは民間企業に就職されましたが、政治家を志すようになり法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉秘書をOB会で紹介されたようです。

中村梅吉秘書の計らいもあり、同派閥だった小此木彦三郎衆議院議員の秘書を務めるようになり、小此木彦三郎氏の大臣就任とともに大臣秘書官へと出世されていきました。

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菅義偉官房長官の若い頃の逸話

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画像出典:時事ドットコム

菅義偉官房長官の若い頃の逸話は実に興味深く、そこにはいつも反骨精神がありました。

お父様の三郎さんは満州から帰国して農業でブランドいちごを誕生させた後、町議会議員や湯沢市いちご生産集出荷組合組合長を務めるなどの功績があります。

 

また、母親や叔父、叔母、姉2人はすべて教員になられています。

しかし、家庭環境に流されることなく、まだ若い頃の菅義偉官房長官は別の道を進むことを選びました。

 

親のコネなどもたくさんあったと思いますが、秋田県立湯沢高等学校を卒業すると、すぐに東京に出て自分の力だけで生きて行くことを選択したのも逸話の1つです。

ただ、それほど東京での暮らしは甘くありませんでした。

 

それからの菅義偉官房長官は勤めていた段ボール工場を辞め、法政大学に入るために築地市場でアルバイトをしながら受験勉強を2年続けています。

無事入学後も働きながら生きる道を模索して勉強していたそうです。

 

本当は大学はどこでも構わなかったようですが、お金がなかったため学費が安い法政大学を選んだそうです。

優しそうな雰囲気とはイメージが異なりますが、実は大学に入ってからは空手部に所属していたという逸話もあります。

 

若い頃は政治家になるつもりはなかったそうで、いつかは地元に帰るつもりだったようですね。

その証拠に、政治とは関係のない建電設備株式会社に就職していますが、1975年にようやく政治の世界に足を踏み入れる決心が着いたようで秘書などの仕事を探すようになっています。

 

若い頃の菅官房長官の生き方は一見行きあたりばったり的に見えますが、必ず次の道を模索するストイックさも持ち併せており、今では次期総理の候補にも名前が挙がるようになっています。

 

「今の世の中がダメなら、もっとよい世の中にしよう」という心意気が若い頃の逸話に見て取れるだけに、菅義偉首相が誕生することも本当にあり得ない話ではなくなってきていますね。

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トップ画像出典:産経新聞