お彼岸にぼたもちやおはぎをお供えする理由と由来!いつ食べる?
春や秋のお彼岸に「ぼたもち」や「おはぎ」をお供えする理由をご存知でしょうか?
なんとなくお供えして、その後に食べるのが当たり前のようになっていますよね。
お彼岸に甘い和菓子をお供えする理由など考えたことがない人も多いかもしれませんね。
ヒントは材料に使われている小豆、お餅、お砂糖などに隠されているようですが、その由来はかなり昔にさかのぼります。
最近では、ぼたもちとおはぎの違いもよく話題に上りますが、正式には異なる点はあるのでしょうか…。
また、「いつ食べるべきものか?」も知っておきたいですね。
そこで、今回はお彼岸にぼたもちやおはぎを食べる理由と由来を中心に、様々な情報を交えながらご紹介します!
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お彼岸にぼたもちやおはぎをお供えする理由!
お彼岸は神仏に祈りを捧げたり、ご先祖様を偲んだりする日でもあります。
お盆と同じくらい重要な日ですが、ぼたもちやおはぎをお供えする理由については諸説あります。
そのなかでも特に有力視されているものをご紹介しますね。
小豆に魔除けの効果があるから?
ぼたもちやおはぎに使われている小豆は赤い色をしていますよね。
昔から、赤という色には「魔除けの効果」があるといわれており、お彼岸にお供えする理由の1つとなっています。
そもそも、赤には「太陽の力」や「血の力」が宿るとされています。
その赤い色をした小豆は「邪気を祓う食べ物」ということで、神仏やご先祖様にお供えする理由と考えられています。
ですから、お彼岸に小豆餡で包んだぼたもちやおはぎをお供えすることは、昔からごく一般的に行われている風習なのです。
他にも小正月に食べる小豆粥や、おめでたい時に炊く赤飯などにも同じような意味が込められています。
お餅に五穀豊穣の意味があるから?
お彼岸にお供えするぼたもちやおはぎには、もち米が使用されていますね。
もともとお餅は「神様に捧げる神聖な食べ物」とされており、日本の様々な行事食には欠かせないものであることも理由の1つです。
特に、五穀豊穣を祈ったり、感謝したりする時にお餅がよく使われます。
お正月の餅花もその1つです。
お彼岸の場合、1年に春と秋の2回巡ってきますので、五穀豊穣とその感謝を神仏やご先祖様にお伝えする最良の機会でもあります。
春には、ぼたもちをお供えするとともに五穀豊穣をお願いします。
秋には、実り多い1年であったことにおはぎをお供えして感謝します。
もちろん、台風などで不作の年であったとしても、お供えする理由が変わることはありません。
正確にはお餅ではありませんが、毎年必ずお供えするものとして習慣化されていったようです。
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お砂糖が贅沢品だったから?
江戸時代の後期になるまで、お砂糖は貴重品でした。
つまり、現在のように毎日料理やお菓子作りに使うということはなかったのです。
昔は、お彼岸という特別な日のみ、お砂糖を使った贅沢品であるぼたもちやおはぎをお供えしていたという理由もあります。
神仏やご先祖様にお供えした後、自分達もご相伴に預かろうとしていたわけです。
お正月のおせち料理に甘い味付けのものが多いのも、実は同じ理由からなのです。
お彼岸にぼたもちやおはぎをお供えする理由には諸説ありますが、特に有力視されているのは上記3つです。
お彼岸のぼたもちとおはぎの由来!
お彼岸と言えばぼたもちやおはぎのイメージが強いですが、その由来はあまり知られていません。
そもそも小豆は縄文時代の遺跡から発見されるほど、日本における歴史は古いものです。
そして、お祝いの席や祈りの場では、小豆で餡をこしらえてお供えする習慣は古くからあったようです。
お彼岸の期間に行う仏事は「彼岸会」と言われ、お墓参りなどのご先祖様を敬う行事が行われます。
日本で彼岸会が初めて行われたのは806年という記録がありますので、ずいぶん古くからある習慣のようです。
では実際に、お彼岸にぼたもちやおはぎがお供えされるようになった由来についてご紹介します。
実際に習慣化したのは江戸時代?
庶民の間でお彼岸にお墓参りをするようになったのは、江戸時代からだと言われています。
そのお墓参りの時に一般的にお供えされるようになったのが、ぼたもちでありおはぎであったことに由来します。
江戸時代と言えば戦乱の世が終わりを迎え、世の中が安定していた時代ですよね。
お彼岸にはゆっくりお墓参りをしたり、それを口実にちょっとした娯楽や贅沢を楽しんだりという発想も生まれてきた頃です。
ぼたもちやおはぎも贅沢品の1つでしたので、庶民の生活が安定し、明るくなったとことに由来するとされています。
ちなみに、はっきり「何かの出来事をきっかけに…」という起源のようなものはわかっていません。
ぼたもちとおはぎの名前の由来は?
両者の名前を漢字で書くと・・・
- ぼたもち=牡丹餅
- おはぎは=お萩
とされていますね。
これは、お彼岸が巡って来る春と秋の「季節の花の名前」に由来しています。
春のぼたもちは小豆の粒を牡丹の花に見立てています。
最初は字の通り「ぼたんもち」と言われていましたが、長い年月の間に簡略化されて「ぼたもち」になりました。
秋のおはぎは、萩の花が小豆の粒に似ているとして「萩餅」と呼ばれていました。
それが、丁寧な言い方として「お萩餅」と呼ばれるようになり、こちらも簡略化されて「おはぎ」と呼ばれるようになったのです。
春や秋のお彼岸の季節になったら、名前の由来となった花を眺めるのもまた一興ですね。
お彼岸のぼたもちとおはぎの違いとは?
お彼岸にお供えするぼたもちとおはぎは、基本的には同じ材料で作ります。
つまり、もち米、小豆、お砂糖をメインとして作るのが一般的で、材料に違いはありません。
小豆の旬は秋で、収穫したばかりの時はまだ皮も柔らかです。
小豆を柔らかく煮て、少し形を残した「粒あん」にしてもち米をくるんだものがおはぎです。
ただし、春のお彼岸になる頃には小豆の皮も硬くなってしまいます。
皮を取り除いたこし餡にしてもち米をくるむのがぼたもちになります。
したがって、粒餡であればおはぎ、こし餡であればぼたもちという違いがあります。
また、春のぼたもちは、牡丹の花のように大きく丸い形をしています。
一方の秋のおはぎは、萩の花のように上品で小さな俵型になっていますので、形にも違いがあることになります。
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お彼岸のぼたもちとおはぎはいつ食べる?
春のお彼岸は春分の日を中日とし、その前後3日間を合わせた7日間を呼びます。
また、秋のお彼岸は秋分の日を中日とし、その前後3日間を合わせた7日間を呼んでいます。
それぞれの期間内で、ぼたもちやおはぎはいつ食べるのかご存知でしょうか…。
正式には、それぞれの中日に当たる春分の日や秋分の日に食べるものです。
中日当日に作ったり買ってきたりして、お供えした後に食べるのが理想的です。
しかし、仕事などの関係で前後にずれてしまっても、そんなに気にすることはありません。
ちゃんとお供えしてから食べれば、ご先祖様もわかって下さるはずです。
ですので、「ぼたもちやおはぎをいつ食べるべきか?」というのは、お彼岸の期間内であれば大きな問題ではないようです。
まとめ
- お彼岸におぼたもちやおはぎを食べる理由には諸説ある
- 赤い小豆は「魔除け」、もち米には「五穀豊穣」の意味がある
- 昔、お砂糖は贅沢品だったため、特別な日のみ用いられた
- 小豆、もち米、お砂糖を利用してぼたもちやおはぎが作られるようになった
- 庶民の間でお墓参りが広まったのは江戸時代から
- 春のお彼岸にはこし餡を利用してぼたもちが作られている
- 秋のお彼岸には粒餡を利用しておはぎが作られている
- ぼたもちやおはぎを食べるのはお彼岸の中日がベスト
現在では、一年中ぼたもちやおはぎが売られています。
ただし、神仏やご先祖様にお供えできるよう、お彼岸のお墓参りも大切にしたい風習ですね。
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