端午の節句にちまきを食べる由来!主に西日本で食べられる理由とは?

2021年4月3日スイーツ・お菓子

端午の節句 ちまき 由来

5月5日の端午の節句のお供え物として、柏餅と並ぶ存在の「ちまき(粽)」

もともとは中国から伝わったもので、端午の節句に食べる由来を知っている方も少ないと思います。

 

関東では日本発祥の柏餅を食べることが多いため、ちまきといわれてもピンと来ないことも…。

主に西日本を中心に食べられる理由についても詳しくご紹介しますね!

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端午の節句にちまきを食べる由来!

端午の節句 ちまき 由来

九州でよく見られるちまき(粽)

一口にちまきといっても、地域によって形も味も包む葉っぱも異なると思います。

そんなちまきを端午の節句に食べるようになったのは、古代中国の詩人「屈原(くつげん)」の伝説に由来します。

 

中国の戦国時代、王朝の1つ「楚」の政治家でもあった思慮深く忠義に厚い屈原。

多くの人に慕われ支持されていたのですが、敵国・秦の張儀(ちょうぎ)の謀略により、紀元前278年、入水自殺に追い込まれてしまいました。

 

彼が命を落としたのが汨羅江(べきらこう)という川ですが、屈原の命日は5月5日で奇しくも現在の端午の節句に当たる日です。

当初、多くの民は彼の亡骸が魚に食べられないようにと、竹筒に米を入れて川へ投げ込んでいました。

 

その後も毎年5月5日になると、屈原への供物として米を汨羅江に投げ込む習慣が中国で広まったといわれています。

しかし、それから220年以上経った後漢の時代、ある人物の夢枕に屈原の幽霊が現れました。

 

ちまき 由来 中国 屈原

 

幽霊曰く、供物のお米はすべて邪悪な蛟龍(こうりゅう)に食べられてしまっていたのだとか…。

そこで、蛟龍が苦手とするセンダン科の楝樹(おうち)の葉で竹筒を塞ぎ、魔除けの五色の糸で縛ってから川に投げ入げるよう懇願しました。

 

これがちまきの起源となっており、毎年5月5日には屈原を供養するための祭りが行われ、知人や親戚などにちまきを振舞う習慣が根付いて行ったようです。

この供養祭は後に中国の宮中行事の1つとされ、無病息災を願う「端午の節句」が誕生しています。

 

その後、端午の節句は日本へ伝わり、男の子の健やかな成長を願いちまきが食べられる由来となっています。

ちなみに、屈原の幽霊が現れたのが西暦26~56年頃のことですので、少なくとも1965年以上は経過していることになります。

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日本にちまきが伝わったのは奈良時代

ちまき 日本 奈良時代

中国の戦国時代、「魏」の国により旧暦5月5日に定められたといわれる端午の節句。

日本に伝わったのは奈良時代(710~794年)のことで、節句の風習の1つとして「ちまき」も同時に伝わっています。

 

時代背景としては現在の奈良県奈良市の西部に日本の首都「平城京」が置かれていた時代で、794年の平安京遷都までの84年間ですね。

日本では茅(ちがや)の葉で巻くことが主流だったため、「ちがや巻き」から「ちまき」と呼ばれるようになりました。

 

尚、端午の節句にちまきを食べる意味としては、屈原の幽霊が伝えた「魔除けの五色の糸」の効果にちなんだり、茅で巻いたちまきには厄除けの効果があると考えられているためです。

厄を払うものを縁起物として、端午の節句には欠かせない食べ物となっています。

 

その後、中国ではお菓子というより「中華ちまき」のような肉や野菜(山菜類)などをメインにした食材として広まったようです。

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日本で主流となった川端道喜のちまき

日本 ちまき 主流 川端道喜

中国から伝わったちまきは日本各地で様々な味や形に変化し、広く普及することになります。

なかでも、現在の端午の節句の和菓子として原型となったのが、うるち米の団子を笹で包んだ内裏粽(だいりちまき)です。

 

その製造元として有名な京都の老舗和菓子店「御粽司 川端道喜」は1500年代初頭に店を構え、日本のちまきの主流となりました。

細長い円錐形にして笹の葉で巻くようになったのも、創業者の初代・川端道喜の発案とされてます。

 

もともとはうるち米から上新粉を精製し、お湯でこねてから臼で搗いて団子を形成し、笹の葉で巻いて茹でて作っていたそうです。

葛粉を原料としたちまきの製造を始めたのも川端道喜が元祖とされ、京都を中心に全国に伝わっています。

 

明治2年になると、東京に首都が置かれるようになり、宮廷(皇室)と離れることとなりました。

ただし、日本の主流となった川端道喜のちまきは、現在でも知らない人がいないほど普及していますね。

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主に西日本でちまきが食べられる理由とは?

西日本 ちまき 食べられる 理由

全国的に端午の節句にはちまきは付き物ですが、江戸時代中期になると江戸の街では柏餅が誕生します。

槲(カシワ)の木は翌年新芽が出るまで古い葉が落ちないブナ科の落葉中木で、「子孫繁栄」「代が途切れない」などの象徴として重宝され、柏餅が流行することとなりました。

 

ただし、槲の木は関西を中心に西日本ではあまり育たない樹木であったため、柏餅を食べる風習は関東地方に限られていたようです。

その後、西日本では端午の節句にサルトリイバラやナラガシワといった樹木の葉を利用した柏餅が普及しますが、ちまきほど食べられることはありませんでした。

 

現在でも、端午の節句に食べるのはちまきの方がメジャーで、柏餅はややマイナーという地域が多いと思います。

お住まいの地域によっても異なりますが、主に西日本でちまきが食べられる理由は槲の木が育たない環境だったことが挙げられます。

 

両者が日本で食べられるようになった歴史の古さから考えても、妥当ではないかと思われます。

また、お子様の初節句の時は柏餅、それ以降はちまきを食べさせる風習も耳にするようになりましたね。

 

いずれにしても端午の節句に厄を払い、無病息災を祈願する縁起物ですので、どちらも美味しくいただきたいですね。

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端午の節句にちまきを食べる由来!主に西日本で食べられる理由とは?のまとめ

端午の節句にちまきを食べる由来についてご紹介しました。

中国発祥の食べ物で2000年近い歴史があることも驚きでしたね。

 

もともとは保存食とされていたようで、抗菌作用のある植物の葉を巻くというのも理に適っていますね!

現在では日本各地で様々なスタイルのちまきが誕生し、他の地域のモノを見てビックリすることもあるようです。

 

ただし、主流となっているのは川端道喜で製造されたもので、餡は入っておらず笹の葉で巻いてあるものです。

柏餅と甲乙つけがたい季節の風物詩でもありますので、端午の節句にはお子様と一緒にお召し上がりくださいね!